臺詞好,就喜歡那部劇。
歌詞好,就喜歡那首歌。
《紙牌屋》熱播的時候摘抄過一些英語臺詞,《晝顏》熱播的時候摘抄過一些日語臺詞,其實《甄嬛傳》熱播的時候我還摘抄過劇中的古詩詞,哈哈。
下面這些都是我對著視頻截圖一個字一個字抄寫出來了。送給喜歡日語的親們。
顔が好きって言うと、みんな口をそろえて、そう言うよね。人間外見じゃない、中身だ。分かっているよ。中身が大事じゃないなんて一言も言っていないよ。ただ私は外見も大事でしょって言っているわけ。
顔が好きって言うよりも、內面を好きになったんですって、言うほうが尊(みこと)いことのように扱われてるこの世間の風潮に我慢ならないだけ。
一說到喜歡臉,大家都會異口同聲地說,人重要的不是外在是內涵。這種事我當然知道啊。我又沒說內涵不重要,我只是說外在同樣也很重要而已。比起看臉的人,大家更尊重喜歡內在的人。我只是對這股世間的潮流,忍無可忍而已。
私、何か、幸人君のことよくわからなくて、私、今日一日、幸人君のこと、ずっと尾行してたの。ホントに最低なことした。でも、みんなの前では物分りいいふりして、なのに陰でこそこそ嗅ぎまわったりして。
我總覺得搞不懂你,今天一天都在跟蹤你,我真是太壞了,但是在人前我裝得通情達理,在背后卻偷偷地四處搜尋。
俺みたいにごちゃごちゃ余計なこと考えずに目の前のことに、とことんまっすぐで、俺、えっちゃんのことが好きだよ。
不像我一直胡思亂想,坦率又努力的小悅,我喜歡你。
自分の仕事に心から納得している人間なんてそうそういねえんだよ。校閲の仕事やりたくてやっているわけじゃねえだろ。ホントはファッション誌やりたいのに、嫌々やってんじゃねえのか。
這個世界上就沒有人打心眼里認可自己的工作吧。你又不是喜歡校閱才去做的,本來想做時尚雜志現在只能不情愿地做校對吧。
いやいや、それ、ぜんぜん違うんですけど、私、今日から「蛇の飼い方」って本の校閲し始めたんだけど、これって、ファッションエデイターになった時に、絶対に役立つと思うわけ、だからさ、エデイターになった時にね、もし「蛇柄のバッグ用意しろ」って急に言われても、この校閲のおかげで、蛇柄のバリエーションいっぱい提案できるじゃん。
不是,不是這樣。我和你說的可不是一回事。今天開始我校對一本叫《養蛇方法》的書,我覺得等我當上時尚編輯之后,這本書一定能派上用場。所以啊等我成了編輯以后,如果忽然被要求準備蛇紋包,多虧校對了這本書,我就能提出很多關于蛇紋的意見。
みんながみんな、先輩みたいに夢とかやりたいこととかあるわけじゃないんだよね。好きでもなんでもない仕事してる人 なんて山ほどいる。ってか そっちのほうが 多いんじゃないかな?そもそも楽しい仕事なんて世の中にあんのかなぁなんて思ったりするし。
まぁ もし そんなのあったとしたらみんなその仕事してるよね。
大家并非都像你一樣有夢想,有想做的事,對所從事的工作完全沒有興趣的人有很多,倒不如說,那樣的人占多數吧。我常常想,這個世界上本來就沒有什么愉快的工作吧。如果有的話,大家都會做那個工作吧。
それは違うんじゃない?森尾が楽しめていないのは楽しもうとしてないからでしょ?仕事に限らず人生だって何だって、つまんないって思った時點で もうつまんなくなっちゃうよ。楽しめるかどうかって、その人の気持ち次第なんじゃないの?
不是那么回事吧。你覺得工作不快樂是因為你沒有想要從中獲得快樂吧。不僅是工作,人生中所有的事,當你覺得它無聊的時候就會真的變得無聊。是否快樂取決于那個人的心情吧。
森尾、昨日はごめん、森尾のやる気なくすようなこと言っちゃってたら本當にごめん でもね、やるだけ無駄なんてこと人生にいっこもないと思うんだ たとえ誰にも褒めてもらえなくても認めてもらえなくてもできる限りのことは全力で全部したって思いたい だから あたしも今から また無駄だって思われることしてくるよ。
森尾,昨天的事我很抱歉,如果說了什么讓你喪氣的話,對不起。但是我覺得人生中沒有什么白費功夫的事,就算得不到別人的表揚,得不到認可,我想把自己力所能及的事全部做完,所以,我現在又要去做所謂的無用功了。
世の中には、夢を葉えた人もいれば、葉えていない人もいる。目立つ仕事もあれば、目立たない仕事もある。中には夢を葉えたけど、こんなはずじゃなかったと思っている人もいるだろう。
這個世界上有人實現夢想,也有人無法實現。有些工作引人注目,也有些工作毫不起眼。這其中有些人實現了夢想,卻覺得本不該如此。
でもたとえどんな気持ちでいようと、どんな仕事をしていようと目の前にある仕事に全力で取り組むことがともすれば、平凡な繰り返しになってしまう毎日を意味のある掛け替えのない毎日に変える方法だと彼女は身をもって教えてくれた。
但無論抱著什么樣的心情,無論從事著什么樣的工作,竭盡全力做好眼前的工作,往往能將平凡往復的每一天變得有意義且無可替代,這是她親身教會我的。
夢を葉えていても、葉えていなくても、今の仕事に誇りを持って世の中を支えてくれている全ての地味にすごい人達に。
送給無論夢想實現與否,都為現在的工作感到自豪,支撐著這個世界運轉的所有平凡不簡單的人們。
あそこに公園見えるでしょ、晝間は子供達がいっぱい遊んでるんだけど、あの公園が出來てから今まで遊具のせいで事故が起きたり子供達がケガをしたことは一度もないんだって。それってあたり前みたいだけど遊具が安全に使えてるのは子供達がいなくなってからこんなふうに點検してる人がいるからなんだって。
能看見那邊的公園吧,白天小朋友們都在那里玩耍,聽說從公園建成至今,從沒因為設施問題而引發事故,或者讓孩子們受傷。雖然這聽起來很理所當然,但游樂設施之所以能被安全使用,是因為在孩子們回家之后,會有人認真地逐一檢查。
電車もそうだよ。こうやって毎日どこかの線路で枕木や砂利の交換が行われててさ。この人達のおかげで電車は安全に走れてるんだよね。
電車也是一樣,像這樣每天在某個鐵道上,都會進行這樣枕木和砂石的替換工作。多虧了這些人電車才能安全運行。
それから あの橋もそう。もし知らないうちにボルトが緩んで橋が落下したら大事故になる可能性があるから、定期的に點検してるんだって。
對了,那座橋也是如此,鑰匙螺絲釘松了卻沒人發現,橋坍塌了那可就釀成大禍了。所以也會定期逐一檢查呢。
でもなかなか気づかないよね。但是我們都很難注意到呢。
公園の遊具も橋や線路や電線も知らないうちに點検してくれてる。だから街じゅうの電気がつく、子供達が安全に公園で遊べる。電車に乗れる、橋を渡れる、いつ誰が點検してるかなんて、考えもしないと思うけどいちいち喜んだりしないし、でも どれも すごい仕事だって思わない?全部當たり前に思えることだから。
不管是公園的游樂設施,橋,鐵軌還是電線,都有人在我們不知道的情況下進行檢查呢。所以街上燈火通明,孩子們能安全地在公園里游玩,人們能坐上電車,能橫渡橋梁,也不會考慮,有誰在什么時候檢查了它們,人們不會為此而歡呼雀躍,但你不就覺得它們都是很了不起的工作嗎。因為都是理所當然的事情。
でも、言っとくけど、えっちゃんのおかげだからね。えっちゃんが僕の小説を校閲してくれて、そのえっちゃんと知り合えて、初めて校閲っていう仕事に趣味を持った。他にもこんな仕事があるんじゃないか。目の當たらない場所で輝いてる人達がいるんじゃないかって。だから俺この本を作ろうと思ったんだよ。
但是,我話說在前面,這些都多虧了小悅你啊,小悅你校對我的小說,從而我們相識,并第一次對這份工作產生了興趣,于是我就開始想還有沒有其他這樣的工作了呢。在人們目所不及的地方散發著光輝的人們。所以我決定寫這樣一本書。
銀行員だったんだけど、全く肌に合わなくてね。そんな時、えっちゃんの親父さんだけ脫サラを進めてくれたんだ。あっちもこっちも立てようとするなんて蟲がよすぎる。
でも辭めたら親の期待を裏切ることになる。親御さんはがっかりするかもしんねえけど、大事なのはお前の気持ちだって。
誰のもんでもねえ、お前自身の人生なんだって。そう言われた時、腹が決まったんだよ。
我以前在銀行上班,根本不合我的性子,那個時候只有小悅的爸爸,勸我別再當職員了。他說,想要討好所有人哪有那么好的事,但是如果辭職又會辜負父母的期待,雖然你的父母可能會失望,最重要的是你自己的想法,你的人生不是別人的,是你自己的。聽他這么說了之后我才下定了決心。
順風満帆なお前の人生に何かしらの汚點を殘してやりたくなったんだ。俺の人生が順風満帆?妻子に逃げられ、20年以上も一人暮らししている俺の人生が?でも逆かもしれんな。友達には弱みを見せるべきだったのかもしれんな。夢を葉えられる人間はお前みたいに才能と運のあるごく一部の人間だけだ。
就是想給你一帆風順的人生,留個污點什么的。我的人生一帆風順嗎。妻離子散,20多年都孤身一人的我的人生嗎。不過或許正好相反,或許我該讓朋友們看到我的脆弱,只有像你一樣有運氣和才能的極少數人,才能實現夢想。
夢が葉わなかったって言ったな。結婚式で泣きながら言ったよな。家族をもつことが夢だったって。夢はいくつあってもいい。全部いっぺんに葉えようなんて蟲がよすぎる。俺は仕事を手に入れた代わりに家族を犠牲にした。今必死にそれを取り戻そうとしている。確かに全部いっぺん手に入れようなんて蟲がよ過ぎるかもしれません。
你說你沒實現夢想,在結婚典禮的時候哭著說,組建家庭是你的夢想,夢想可以有很多種,想把它們一下子都實現,哪有這么好的事。我為了工作而犧牲了家庭,現在我正拼命地想要挽回自己的家庭,確實,想要一下子全部實現,哪有這么好的事。
2つのことが同時に出來るほど器用な人間じゃないんだからさ。
都不是那種能同時做好兩件事的厲害的人啊。
けど、お前はたとえ夢が別にあったとしてもまずは目の前にある仕事に全力で向き合うやつだったんだよ。
だから校閲部のみんなもお前のことを受け入れてくれたんだ。お前は半端なやつなんじゃない。
この先お前が編集者になろうと、校閲者になろうとお前はお前なんだ。
但你是那種即便夢想在別處,也會全力去處理自己眼前工作的人。
所以校閱部的大家都接受了你。你并不是那種半途而廢的人。不管未來你是編輯還是校對,你就是你自己。
作者簡介:戴戴,80后的尾巴,射手女。熱愛文字,熱愛慢生活。愿我的文字能帶給你溫暖,舒心。