政治家や著名人による差別的な発言には、私だって腹を立てる。私は女性というカテゴリーに屬するので、女性を蔑視する発言にはそれなりに敏感だ。怒りや悲しみや抗議の聲をあげる人々に賛同し、そうした人々の意見をもっと知りたいと求め、しまいには同化する。それと同時に、なぜあの発言をしたのが自分ではなかったのだろうといぶかしく思う。私の心の奧底にも、女性を蔑む気持ちがひとかけらもないとは斷言できないからだ。それは生々しい自傷行為であり、自分以外の者を見下そうと舌なめずりする傲慢さでもある。私は軽率な人間だから、今この瞬間もそれの暴走を許してしまうかもしれない。
由于政治家或名人歧視性的發言,我聽了之后很生氣。因為我作為女性,所以理所應當會對歧視女性的言論很敏感。贊同那些發出憤怒而悲傷的抗議之聲的人們,更加渴望知道人們的意見,最終融入其中。在那同時,也驚訝于為什么做那個發言的不是自己。在我內心深處,不敢斷言對女性一點點歧視都沒有。對于那些仿佛就在眼前的自殘行為,以及時時準備看不起自己以外的人,這樣的傲慢心理也是有的。如果我是一個輕率的人,在這一瞬間也許會原諒那樣的隨心所欲。
原作:藤野 可織
出處:PR誌1月號より藤野可織さんのエッセイを掲載します