星野結夏さまへ
致星野結夏
暦の上に春は立ちながら厳しい寒さが続いておりますが、いかがお過ごしですか?風邪などひいていませんか?霜焼けなどしていませんか?突然の手紙、ごめんなさい。まだまだ寒く長い夜のついでに目を通していただければ幸いです。
春寒料峭,你是否安好?沒有感冒吧?沒有長凍瘡吧?對不起,突然給你寫信。如果能承蒙你在寒夜中雅鑒,不勝榮幸。
まずわが家に暮らして3年目を迎える2匹の貓に関してお知らせします。彼らはなぜか最近テレビをよく見ます。株価のニュースを見ながら話をしています。彼らの人生に株価が何か作用することがあるのでしょうか?
首先,向你報告,在我們家即將迎來第三個年頭的兩只貓的情況。不知為何,它們最近經常看電視,邊看股票的新聞邊交談。對它們的人生來說,股票有什么作用呢?
金魚カフェでは姉の體調もあって最近継男さんがラテアートを描いています。その絵の作風が常軌を逸しており、女性客が悲鳴を上げて帰ることしばしばです。
金魚咖啡,因為姐姐要調養身體,最近由繼男姐夫在畫咖啡拉花,畫風獨辟蹊徑,經常有女性客人失望而歸。
上原さんに紹介されて先日ついに河合さんと対面しました。驚きです。河合さんはまるでギリシャ彫刻のような二枚目だったのです。握手の手を差し伸べ「やあ、初めまして」とおっしゃっていました。友達になれるかどうかはちょっと分かりません。
經由上原先生介紹,前幾天終于見到了河合先生。我很震驚,河合先生是位希臘雕像一樣的大帥哥。他伸手同我握手,說“初次見面”,我不知道自己能不能和他成為朋友。
目黒川を行き交う人々は桜の木を見上げて開花の時季を待ちわびながら、すでに花見の約束を取り交わしています。また、あのにぎやかな季節が訪れるのですね!
在目黑川來來往往的人們,他們抬頭看著櫻花樹,期待著開花時節,并且已經互相定下了賞花的約定。那個熱鬧的季節又要到來了。
昨日、君の夢を見ました。君がたくさんの風船を抱えてくる夢でした。君は無數の風船を僕と自分の體に結び付けました。僕と君は風船に軽く體を持ち上げられて空を飛びました。目黒川を見下ろすとマチルダとはっさくが見上げてるのが見えました。上原さんたちが赤ん坊を抱いて手を振っていました。僕は風に流されて飛んでいくしかない、自分の非力さが少し悲しかったです。
昨天我夢到你了,夢見你抱著好多氣球。你把無數個氣球系在我和你的身上,我和你被氣球帶起,飛上了天空。俯瞰著目黑川,發現瑪蒂爾達和八朔在抬頭看著我們,上原夫婦抱著小嬰兒朝我們招手。我只能被氣球帶著,隨風飄蕩,對自己的無力有點悲傷。
川沿いの道を今日も歩きます。不思議と一人になった気がしません。まだまだ僕は毎日を君の記憶と共に暮らしています。君がよくお風呂場で歌っていた歌、「靜かに、靜かに、手を取り、手を取り」、そんなふうに始まる歌、そんな光景。
我現在依然每天會走過岸邊的街道,不可思議的是,我并不覺得自己是一個人。我依然每天都同你的記憶一起生活著。你經常在浴室里唱的歌,“靜靜地,靜靜地,握起你的手,握起你的手”,這樣開頭的歌,這樣的場景。
深夜二人でDVDを借りに出掛けたときのこと、月がずいぶんと大きなことに気がついた僕と君は、そもそもなぜ出掛けたのかさえ忘れて、夜中の散歩をしました。舊山手通りで焼き芋を買って、半分に割ったら大きさがまるで違って、じゃんけんして食べて、笑って、手をつないで、僕が結婚を口にしたら、君は焼き芋いっぱい頬張った口で聲にならない返事をしました。そんな始まり、そんな光景。
想起深夜兩個人出門借DVD的那一次,我和你注意到月亮已經變得好大,一時忘了出門的理由,在夜色中散起步來。在舊山手路買了烤紅薯,掰成兩半之后,發現大小相差懸殊,于是猜拳決定。吃著紅薯,笑著,牽著手。我說要結婚,你的嘴巴被紅薯塞得滿滿囔囔的,含糊不清地回答了我,這樣的開始,這樣的場景。
君と結婚して知ったことがあります。洗面臺に並んだ歯ブラシ、ベッドの中でぶつかる足、いつの間にか消えてる冷蔵庫のプリン、階段を先に下りること、階段を後から上がること、戀がいつしか日常に変わること、日常が喜びに変わること、間違えてはいて出掛けた女物の靴下、メールで頼まれる番組録畫、背中をかくこと、怖い夢を見たら寄り添うこと、もう一人の父親、もう一人の母親、もう一つの古里、古里から屆くミカン箱の中のハクサイ、日常が奏でる音楽、日常を伝え合うことの物語……ここにはまだそれが転がっています。部屋の隅に、電球の裏に、カーテンの隙間にくっついたまま。僕は今も毎日のように過去から訪れる君の愛情を受け取っています。
和你結婚后,我懂得了很多事。洗手臺上并排著的牙刷,被窩中碰到的腳,不知何時消失掉的冰箱中的布丁,先下樓梯,和在你的后面上樓梯……戀愛總有一天會變成生活,生活會變成喜悅。穿錯了女生襪子出門,發郵件來拜托我錄的電視節目,抓背,做噩夢了就互相依偎,另一位父親,另一位母親,另一個家鄉,家鄉寄來的裝在蜜柑箱子里的白菜,由生活演奏的音樂,在生活中互相傳達的故事……這里還四處散落著,房間的角落里,電燈泡的里面,窗簾的縫隙里,還同以前一樣留著。我如今也每天感受著從過去而來的你所留下的愛情。
川沿いの道を今日も歩きます。一人ずつ二人で生きていたこと、僕の中に住んでいる君、君の中に迷い込んだ僕、不思議と一人になった気がしません。いつかまたそう思うことの愚かさを思いながらそれでも思います。夜中の散歩をして、じゃんけんして、食べて、笑って、手をつないで、焼き芋頬張りながら、また同じことを話すんです。
我今天也會走過河邊的街道,各自擁有的兩個人一起生活過的回憶,住在我心中的你,闖進你世界的我,不可思議的,并不覺得變成了一個人。總有一天會覺得這樣的想法太過愚蠢,卻還是這樣想著,在夜色中散步,猜拳決定,吃著烤紅薯,笑著,牽著手,吃著滿口的烤紅薯,再說起同樣的話。
僕たち一緒にいると、楽しいよね?一緒に年を取りませんか?結婚してくれませんか?
我們在一起的話會很開心吧?一起慢慢變老吧?可以嫁給我嗎?
2014年2月8日
目黒川沿いの古いマンションで2匹の貓と共に春の訪れを待っています。
我在目黑川岸邊的舊公寓,和兩只貓一起,等待著春天的來臨。