文 | 評論家 佐佐木敦
翻譯排版:戎茜
校對定稿:彌生
? ? ? “同時發表最新3部短篇作品”——《文學界》雜志7月號刊登了的村上春樹作品《短話三則》。事實上,這也算個不小的事件。之所以這么說,是因為這是時隔13年,村上的小說再次被登載在狹義的“文學雜志”上。上次是2005年,《新潮》雜志連載了幾篇故事,這些故事收錄于經過整理后成冊的《東京奇譚集》。其最新短篇集《沒有女人的男人們》刊登在《文藝春秋》。《文藝春秋》和《文學界》雖然屬于相同的雜志社,但前者是綜合類雜志,而非文學雜志。村上春樹可謂當今“日本文學界最為另類的作家”了,如此特別的作家回歸“文學雜志的世界”,或許并非什么大事,但我多少有些在意,這是否有更深一層的含義呢?
? ? ? ?實際上,《短話三則》中的每一篇都相當的短小。但莫不如說,正因為此,才清楚地體現出村上春樹作為小說家的個性和才華。每一篇作品都是對村上水平高精準的提煉。三篇作品也都讓人聯想到作家自己,故事均以“我”為敘事方,所描寫的中心內容都是他尚且年少時的回憶。
01
? ? ? ? ?第一篇故事是《在石枕上》,講述了19歲的“我”和在打工處結實的年長女性發生了一次肉體關系的故事。如今,回想起她同她度過的那一晚,“我”連她的名字也想不起來,此后也再沒見過。她作短歌,那天后給“我”寄來了她的作品集。其實,無論過去還是現在,“我”都不是很懂短歌。但不可思議的是,她詩集中的8首詩,一直留在“我”的腦海中。這些詩全部被“引用”在小說當中。 “我”注意到她短歌中的大部分內容都一直在探尋“死亡的場景”。如今,她在何處?過得如何?是否還活著?還是說已經死了很久了?當然,“我”都不得而知。
02
? ? ? 《奶油》中的“我”,在18歲落榜時,從一個女生那里收到了一封演奏會的邀請函。這個女生曾經和“我”一同參加鋼琴培訓班,當時關系就并沒有那么的好,而且多年未見,受到邀請“我”頗感驚訝。但還是回復說會出席。演奏會當天, “我”乘電車又倒了公車,到了一看,像會場的建筑物大門緊閉,根本不像有活動的樣子。“我”一頭霧水,搞不清楚原因,不過大概可能是被那女生給騙了。沒辦法只好到附近公園,在長椅上休息一會兒。此時出現了一位怪異的老人,給了“我”奇怪的忠告。雖然卻對忠告的具體內容并未著墨,但這似乎就是 “村上風格”的迷之魅力了。
03
? ? ? 《查理·帕克演繹巴薩諾瓦》中的“我”,大學時在某大學的文學雜志上發表了一篇樂評。“我”在樂評中提到,本應于1955年去世的查理·帕克,實際上活到了1963年,并突然發表了其演奏巴薩諾瓦的專輯。當然,這是徹頭徹尾的虛構作品。小說一開始就引用了“樂評”的主要內容。盡管這個樂評是一派胡言,但“我”覺得也算是相當不錯的一篇文章了。十五年后,“我”由于工作逗留在紐約。在二手唱片店居然發現了《查理·帕克演繹巴薩諾瓦》這張專輯。不過可惜的是,“我”當時并沒有買。第二天再到店里去時已經找不到這張專輯了,店主也說壓根就沒有這張專輯。之后又過了段時間,有天夜里查理·帕克出現在“我的夢中”……??
? ? ? 《查理·帕克演繹巴薩諾瓦》最后是這樣結束的。“你能相信嗎?/還是信了比較好吧。畢竟是發生過的事兒。”可以說其他兩則也傳遞著相同的信息。當然,除了作者之外,誰也不知道《短話三則》當中的內容是否真的是“實際發生過的事兒”。哪怕是像“我”捏造的《查理·帕克演繹巴薩諾瓦》那樣,是純粹虛構的內容,也沒什么大問題。不過,既然說了“還是相信比較好”,那從某種意義上說,似乎就可以確定這是村上春樹的真心話了。
末
? ? ? ? 作為讀者的我們,追求的是:這些小故事無論多么地難以置信,我們都當作是真的接受,之后編織出自己的想象與感慨。仔細想來,村上春樹的小說都是這樣的風格。他所書寫的故事可以被當作是一種寓言。但他的作品并不是要顯示出隱藏的寓意。或許可以理解為并沒有獨一無二的、明確的寓意。如果只有一種寓意的話,恐怕村上春樹就不會特意寫小說了吧。
原文
村上春樹「三つの短い話」 佐々木敦
『文學界』7月號に、「最新短編3作同時掲載」として、村上春樹「三つの短い話」が掲載されている。実はこれは、ちょっとした事件である。村上の小説が狹義の「文蕓誌」に載ったのは、二〇〇五年に『東京奇譚集』としてまとめられる諸編が『新潮』に連載されて以來、じつに十三年ぶりのことであるからだ。最新短編集『女のいない男たち』は、『文學界』と同じ版元ではあっても、総合誌の『文蕓春秋』に載ったものだった。だからどうということでもないのだが、現在の「日本文學」における最大の異端児と言ってもよい、この特異な作家の「文蕓誌的世界」への帰還(というのも大袈裟(おおげさ)だが)が、何かを意味しているのかどうか、少しだけ気になりはしている。
「三つの短い話」は、実際どれも、かなり短めの作品である。だが、むしろそれゆえにこそ、村上春樹という小説家の個性と才能を端的に表した、純度の高い仕上がりになっている。三編とも作家自身を思わせる「僕/ぼく」が語り手であり、語られる物語は、いずれも彼がまだ非常に若かった頃の思い出が中心である。
最初の「石のまくらに」は、十九歳の「僕」がバイト先で知り合った年上の女性と一度だけ肉體関係を結んだ話。「僕」は今では名前も思い出せない、それきり二度と會うことのなかった彼女との一夜を回想する。彼女は短歌を詠んでいて、その日のあとに自作の歌集を送ってきた。「僕」は昔も今も短歌のことをよく知っているわけではないのだが、不思議なことに彼女の歌集の內の八首が、その後もずっと頭に殘り続けることになった。その八首全部が小説の中に「引用」される。「僕」は彼女の短歌の多くが「死のイメージ」を追い求めていることに気づく。今、彼女がどこでどうしているのか、生きているのか、もしかしたらもうずっと昔に死んでしまったのか、もちろん「僕」にはわからない。
「クリーム」の「ぼく」は、十八歳の浪人生のとき、かつてピアノ教室で一緒だった女の子から演奏會の招待狀が屆き、仲が良かったわけでもなく、何年も會っていなかったのにと怪訝(けげん)に思いながらも出席の返事をして、當日電車とバスを乗り継いで行ってみると、會場らしき建物は閉まっていて催しがあるとはとても思えない。「ぼく」には何がなんだかわからない。理由は不明だが、その女の子に騙(だま)されたのかもしれない。仕方なく近くの公園のベンチで休んでいると、奇妙な老人が現れて、奇妙な教えを告げられる。その內容はここには書かないが、なんとも村上春樹らしい謎めいて魅力的なものだとだけ言っておこう。
「チャーリー?パーカー?プレイズ?ボサノヴァ」の「僕」は大學生の時、ある大學の文蕓誌に、一九五五年に亡くなっているはずのC?パーカーが一九六三年まで実は生きていて、とつぜんボサノヴァのアルバムを発表した、というまったくの作り話をレコード?レビューの體裁で発表した。その文面が最初に「引用」される。噓(うそ)八百にしては我ながらなかなかよく出來た文章だったと「僕」は思っている。ところがそれから十五年後、仕事で滯在していたニューヨークの中古レコード店で「僕」は「チャーリー?パーカー?プレイズ?ボサノヴァ」というレコードを発見する。しかし「僕」はそれを買いそびれてしまい、翌日あらためて店に行ってみると、そのレコードはどこにもなく、店主にもそんなものは存在しないと言われる。それからさらに時が過ぎて、ある夜「僕」の夢にC?パーカーが出てくる…。
「チャーリー?パーカー?プレイズ?ボサノヴァ」の最後はこう結ばれている。「あなたにはそれが信じられるだろうか?/信じた方がいい。それはなにしろ実際に起きたことなのだから」。これは他の二編にも共通するメッセージと言っていいだろう。もちろん、これらの「三つの短い話」が本當に「実際に起きたこと」なのかどうかは作者以外の誰にもわからないことだし、たとえ「僕」がでっち上げた「チャーリー?パーカー?プレイズ?ボサノヴァ」のようにまったくの虛構であったとしても、それは特に問題ではない。だが「信じた方がいい」と、ある意味で村上春樹が本気で言っているのだということは確かだと思われる。
読者である私たちは、これらのささやかな物語を-それがどれほどありそうもないような話であっても-とにかく真に受けて、そこから自分なりの想像や感慨を紡ぎ出していくことを求められているのだ。そして考えてみれば村上春樹の小説は、どれもそういうものである。彼の書く物語はすべて一種の寓話(ぐうわ)だと言っていい。しかしそれはそこに隠されている寓意が露(あら)わになればいいというものではない。というよりも、そこには唯一無二の明解な寓意があるわけではないのだ。もしもそれだけのことだったら、村上春樹はわざわざ小説など書きはしないだろう。
(ささき?あつし=批評家)
文章來源
| 東京新聞Web版 |
| 文化 | 文蕓時評 |
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