翻譯《村上さんのところ》—— 11-15個問答

《村上さんのところ》

11)「フラニーとズーイ」は面白い

「フラニーとズーイ」非常有趣

PS:村上春樹曾把這兩本書翻譯成日文

「フラニーとズーイ」是J.D.Salinger的《Franny and Zooey》,中文翻譯為《弗蘭妮與祖伊》

「キャッチャー~」是J.D.Salinger的《The Catcher in the Rye》,中文翻譯為《麥田里的守望者》

質問:

こんにちは。埼玉県に住む男です。私は読書がすきなのですが、和訳本を読むのが少し苦手です。というのも、文法構造の違いなどに起因すると思われる、妙に回りくどく角張ったような和訳に出會うことが多く、なかなか馴染めないからです。

您好!我是在埼玉縣居住的男生。我非常地喜歡讀書,不過不太擅長閱讀英譯日的書。在這之中,我想很可能是語法構造的差異而造成,經常會碰到很多奇怪得生硬的,啰嗦的這樣的英譯日,非常難以適應。

村上さんは、これまでに多くの作品の和訳にも攜わっていらっしゃいますが、和訳の際に大切にしている決める事のようなものがあれば、教えてください。また、これまでに一番和訳に悩んだ英語表現についても、その表現が使われた作品と併せて教えていただければ嬉しいです。

村上先生至今為止參與了很多作品的英譯日的翻譯,在英譯日的時候,若有最重要的,起決定性的東西,還請告知。另外,至今為止在英譯日里最讓人苦惱的英文表現形式,以及使用了該表現形式的作品,若是能一并告知的話,會非常的高興。

回答:

翻訳された海外の小説は、どうしても文章が「普通の日本語の文章」とは少しずれたところに落ち著いてしまいます。地の文章もそうですし、會話もそうです。出來るだけ普通の日本語に近づけようとしますが、やはり超えられない一線みたいなのがあるようです。原文に忠実にあろうとすると、どうしてもそうなってしまいます。「だから海外の小説は読まないんだ」という方も多くおあれると思います。

翻譯過來的海外的小說,無論如何,文章多少會與「普通的日本語的文章」的落腳點有偏離的地方。實際的文章是如此,會話也是如此。雖然盡量接近普通的日本語,可總是有那么一條超越不了的界線存在。本想忠于原文的,可無論如何也只能做到這樣。我想「所以不能閱讀海外的小說」這樣的人是有很多的。

でも僕はそのような「ずれ」の中に、けっこう大きなポテンシャルが潛んでいるのではないかと思うんです。そういう「ずれ」が、逆に日本語に新しい可能性ようなものを與えているのではないかと。ですから、そういう意味で、僕にとってとても良い勉強になっています。

不過我想在那個所謂的「偏離」里面,不就是隱藏著相當大的可能性嗎。那種「偏離」,不就是可以賦予與日本語相反的新的可能性之類的東西嗎。所以,那種意義,對我來說,是非常好的一次學習。

僕が苦労した翻訳はたくさんありますが、一番大変だったのは去年の三月に出したサリンジャーの「フラニーとズーイ」ですサリンジャーの練りに練られた、凝った強固な文體を日本語に置き換えていくのは、実に至難の業でした。サリンジャーが「キャッチャー~」を乗り越えるために、どれくらい念入りに自分の文體を再構築していったか、訳しているとそれがひしひしとわかります。まさに力業です。訳すのはむずかしかった。でも面白かったなあ。

我認為的辛苦的翻譯是有很多的,最難的莫過于去年3月份出版的サリンジャー的「フラニーとズーイ」。要把サリンジャー那洗練的,凝煉堅固的文體置換成日本語,確實是極困難的一項工作。サリンジャー為了超越「キャッチャー~」,對自己的文體做了如何多的細致周密的重新構筑,在翻譯的時候,對此是深有體會。確實是體力工作。翻譯的時候是困難的。不過也是有趣的呢。

12)純文學か大衆文學か

純文學還是大眾文學?

質問:

村上さんは、自分のことを純文學者と思われますか?大衆文學者だと思われますか?どれほど読者を意識しながら小説を書いていらっしゃるんですか?

請問村上先生,您認為自己是純文學工作者還是大眾文學工作者呢?您是以什么樣的讀者為意識寫小說的呢?

回答:

僕は最初に「純文學」の雑誌の新人賞を受け、それからも「純文學」関係の賞をいくつか受けていますので、いちおう「純文學」フィールドにカテゴライズされていますが、最近はお互いに越境する作家たちが多く、何が純文學で何が大衆文學(エンタメ系)かというかカテゴライズはとてもむずかしくなっています。というか、カテゴライズする必然性がどんどん希薄になってます。お互いに方法を交換し合うということも多くなってきているからです。たとえば純文學の作家がSFの手法を取り入れるとか、ミステリーの作家が「マジック?リアリズム」の手法を取り入れるとか。

最開始的時候,我獲得「純文學」類雜志的新人獎,之后也獲得過好幾個與「純文學」有關系的獎項,姑且可以被歸類為「純文學」領域,不過最近跨界的作家們多了起來,要區分什么是純文學什么是大眾文學(娛樂類)這樣的分類變得非常得困難。或者說,分類的必然性漸漸變得不那么需要。因為相互之間交換方法的事情也變得多了起來。例如,純文學類的作家采用SF的寫作手法,又或者推理小說類的作家采用「魔幻現實主義」的寫作手法。

というわけで、僕が「これは純文學だ」と意識して小説を書いてるかというと、とくにそんなことはありません。でも心の底で「これは娯楽小説ではない」という意識はいくらかあります。娯楽小説ではないというのは、言い換えれば、作者が読者に対してある種の、ある程度の努力を要求することだろうと僕は考えています。いうなれば、咀嚼力を要求するということです。「ここから先は自分の歯で噛んでくださいね」ということで怒ったり、不満を寄せられたりする読者がいます。僕はそういうとき「申し訳ありませんが、こういうものなので」というしかありません。逆に「もっとしっかり噛ませろ」と文句を言う読者もいます。そいうときにも僕は「申し訳ありませんが、こういうものなので」というしかありません。むずかしいものですね。

也因為此,要說我以「這是純文學」這樣的意識去寫小說,這樣的事情是沒有的。不過,在心底里面「這不是娛樂小說」這樣的意識多少還是有的。不是娛樂小說,換句話說,我想是作者對于讀者屬于某種類型,具備某種程度上的努力是有要求的。說起來,就是要求咀嚼的能力。對于「請先從自身出發咀嚼消化」這種事情感到憤怒,寄予不滿的讀者是有的。這種時候,我只能這樣說「實在非常抱歉,的確是這么一回事」。反過來,也會有讀者這樣抱怨說「更加緊緊地咬住不放」。這種時候,我也只能說「實在非常抱歉,的確是這么一回事」。真的是挺困難的一件事情呢!

ということでよろしいでしょうか?

就是這么一回事,不知道是否還好?

13)多様性という美點

多樣性這樣的優點

質問:

はじめまして。

私は村上さんの小説も貓も大好きす。理由を考えることもなかったし、至極自然に好きだったので大人になって、真逆の人も少なからずいることがとしても驚きでした。

今はいろんな人がいるなぁと分かったような顔をして生きていますが「貓嫌い」だの「村上春樹、良さがわかんない」だの言う人がいる驚きは鮮烈でした。

村上さんが一番驚いたのはどんな嗜好ですか?あと、何貓がすきですか?

私は「茶トラで太ってるオス」です。

初次見面。

我非常喜歡村上先生的小說和貓。并沒有思考過是什么理由,只是因為萬分自然地喜歡而已。成為大人之后,對于存在與自己完全相反的人這樣的事情感到極為吃驚。

雖然現在是以知道有各種各樣的人存在的姿態生活著,不過對于說「討厭貓」啦「不清楚村上春樹有什么好」啦之類的人感到深深的震驚。

最讓村上先生驚訝的愛好是什么?還有,喜歡什么樣的貓呢?

我喜歡「老虎茶色,胖乎乎的雄貓」。

回答:

世間にはもちろん「貓が嫌い」という人もたくさんいますし、「村上春樹は気に入らない」という人もたくさんいます。多様性は世界の持つ美點のひとつです。みんなが貓す好きで、みんなが僕の小説を読んでいるような世界は、きっとそれなりに息苦しいと思いますよ。よかったらこれからも僕の本を読んでください。僕は気の良い雄の黒貓が好きです。性格のきつい雌のシャムような貓もすきです。

在這個世上當然有很多「討厭貓 」的人存在,也有很多「不喜歡村上春樹的人」的人存在。多樣性是這個世界擁有的一個優點。所有人都喜歡貓,所有人都在讀我的小說這樣的世界,一定會相應地令人窒息。要是愿意,還請從今以后也閱讀我的書。我喜歡性格溫和的雄性黑貓。也喜歡性格剛烈的雌性暹羅貓。

14)ペンは剣より強い方がいいんでしょうか?

筆比劍強的話好嗎?

質問:

村上さん、こんにちわ。今日は風が冷たいですね。でも福岡の空は青色です。実は、高校生のころから村上さんにお聞きしたいことがありました。満を持して、お尋ねします。

「ペンは剣よりも強し」だと思いますか?

村上先生,您好!今天的風冷颼颼的。不過福岡的天空是藍色的。實際上,在我還是高中生的時候,就有想向村上先生詢問的東西。現在帶著滿滿的疑問來問了。

村上先生認為「筆比劍還要強」嗎?

回答:

すごく正面切っての質問で、びびってしまいます。ぺんは剣よりも強いか?そのとおりです。ペンは剣よりも強いですよ、もちろん、と斷言したいところですが、昨今なかなかそうとばかりも言えない部分がおおいです。テロもありますし、ネットの炎上みたいなこともあります。ものをかくときにはじゅんぶん用心深くならなくてはなりません。

這是個相當直接了當的問題,讓我不禁有點怯場。筆比劍還要強?是可以這樣理解。筆是比劍還要強哦,當然,即便想這樣斷言,不過最近不能僅僅這樣說的情況非常多。有恐怖主義,也有網絡上的批判。寫東西的時候不得不非常地小心謹慎。

僕は普段は、基本的にむしろ「ぺんがあまり強くなりすぎないように」ということを意識して文章を書いています。僕の書く文章ができるだけ人を傷つけることがないようにとおもって、言葉を選ぶようにしています。

我平常,基本上寧愿帶著「筆也并不能變得那么強」這樣的意識寫文章。我寫的文章會出于盡可能不傷害到人的考慮,而選擇言詞表達。

でもそれはとてもむずかしいことで、何をかいてもそれにようって傷ついたり、腹を立てたりする人が、多かれ少なかれ出てます。これはある程度しょうがないんです。でも、それにもかかわらず、できる限り、人を傷つけない文章を書くことを心がけなくてはならない。これは文章を書く人間にとっての大事なモラルなのです。

不過那是非常困難的事情,不管寫什么,因為這些內容而受傷,感到憤怒的人,多多少少也會有的。這是有點沒有辦法的事情。不過,盡管如此,還是要留心盡己所能不寫傷害到人的文章。這對于寫文章的人來說是重要的道德觀念。

でもそれと同時にいざ闘うべきだと思ったときには、闘えるだけの膽力(ぐっと腹に入れる力のことです)を蓄えておかなくてはなりません。でもそれは本當にいざというときのためのものです。みだりにペンを剣より強くしちゃうのは危険なことです。と僕は個人的に考えています。ほかの考え方をする人もいるでしょうか。

不過,想著要同時與這斗爭的時候,就不得不積攢僅是斗爭的膽量(猛地進入肚子里的力量)。不過那真的是不在緊急的時候就不行的事情。任意地讓筆強于劍是危險的。這是我個人的考慮。估計還有做其他考慮的人吧。

15)好きなことは仕事になり得るのか

喜歡的事情能成為工作嗎?

質問:

好きな事を仕事にしたい、ということについてどう思いますか。私は「仕事」である以上好きとか嫌いとかでないとおもうのですが。好きなことを仕事にしたら好きなことではなくなると思うのですが、村上さんは好きな事が仕事になっていますが、仕事は好きなことですか。

想讓自己喜歡的事情成為工作,對于這個村上先生是怎么想的呢?我對「工作」并沒有超過它本身的好感或者是厭惡。我想的是如果把喜歡的事情變成工作,那就會變成不喜歡的了,不過村上先生有讓自己的喜歡的事情變成工作嗎?喜歡自己的工作嗎?

回答:

僕はとにかくジャズが好きで、七年ばかり東京でジャズクラブを経営していたのですが、その店を売って専業小説家になって、それから三年くらいはほとんどジャズがきけませんでした。だから毎日、クラシックとロックばかり聞いていました。なんだかぐったりと、ジャズに疲れてしまったんです。好きな音楽なのに、聴く気にもなれなっかった。好きなことを商売にすると、それくらいの反動があります。でもやはり嫌いなことを仕事にはできないでしょうね。むずかしいところです。

我無論如何是喜歡爵士樂的,曾在東京經營一家爵士樂俱樂部足足7年的時間,后來把那家店賣了成為一名職業小說家,從那之后將近三年幾乎沒有聽過爵士樂。因此每天,只是聽古典樂和搖滾樂。總覺得精疲力竭,對爵士樂感到疲乏。明明是喜歡的音樂,卻沒有想要聽的心情。把喜歡的東西變成買賣,與之而來的反作用也會出現。不過歸根結底討厭的事情是成不了工作的吧。挺困難的。

翻譯by本人,陌上櫻花。因個人能力有限,不妥之處請見諒。


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