漢字仮名混じり文であればこそ
翻訳者として、ぼくはたいへんに漢字と漢語のお世話になっています。そういう例は枚挙に遑がないのですが、憶良さんの話をしたときに言及したジェイムズ‘?ジョイス『ユリシーズ』から引きます。その前に、大辭林(第三版)でジェイムズ‘?ジョイス『ユリシーズ』の項目を見ておきましょう。
ジョイス【James Joyce】一八八二 一九四一アイルランドの作家。ダブリン生まれ。ヨーロッパを転々としながら言語の可能性を追求。短編集「ダブリナーたち」では徹底した寫実技法によって自ら「麻痺の中樞」と呼んだダブリンを描く。Dublinerという英語はこれが初出。自伝的作品「若き日の蕓術家の肖像」に現(xiàn)れる「沈黙、流浪、狡猾」の創(chuàng)造姿勢は、「ユリシーズ」「フィネガンズーウェイク」として結実。
ユリシーズ【Uysses】(…)ジョイスの長編小説。一九二二年刊。ホメロスの「オデユッセイヤ」を下敷きとした緻密な構築によってダブリンの一日(一九○四年六月一六日)を再現(xiàn)した壯大な喜劇。內的獨白、音楽的技法、パロディなど、およそ考えられるあらゆる文體を駆使した二〇世紀最大の小説。
作為一個翻譯學者,每天最經常打交道的就是漢字和漢語。這樣的例子實在是不勝枚舉,但是我還是想引用一下憶良先生談及的詹姆斯·喬伊斯的《尤利西斯》。在此之前,我們先引用大辭林(第三版)里,關于詹姆斯·喬伊斯的《尤利西斯》的介紹。
詹姆斯·喬伊斯(1882-1941)愛爾蘭作家,出生于都柏林。一生都在追求能寫出顛覆性的文字。短篇集《都柏林人》,利用深刻細致的寫實技法,描寫了被他稱之為“麻痹的中樞神經”的都柏林。Dubliner這個英文單詞,也是出自此書。自傳《一個青年藝術家的畫像》,展現(xiàn)的是詹姆斯沉默、流浪、狡猾的創(chuàng)作姿態(tài),而《尤利西斯》、《芬尼根的守靈夜》則是他晚年的最后兩部作品。
《尤利西斯》(Uysses)是詹姆斯的長篇小說,1922年出版。繼古希臘詩人荷馬的《奧德賽》之后的又一部細致描寫都柏林一天(1904年6月16日)生活的偉大喜劇作品。內心的獨白,音樂的使用,惡搞等等,包羅萬象的文體內容,可以說是二十世紀最偉大的小說作品。