前兩天正好在朋友家看到今年的大河劇《真田丸》,回家立刻在書架中找出曾經(jīng)都翻散架的一本《織田信長》傳記。
在那個(gè)紛亂的時(shí)代,織田信長那心有天下的氣魄讓我都不禁拜服,跟別說當(dāng)時(shí)在其左右的那么多豪杰。今天這里,就用他平生最愛詠唱的《敦盛》作為一天的結(jié)束。
人間五十年
思えば此の世は
常の住処にあらず
草の葉におく白露
水に宿る月より猶あやし
金谷に花を詠じ
栄華はさきを立って
無常の風(fēng)にさそはるる
南樓の月を弄ぶ輩も
月に先だって
有為の云に隠れり
人間五十年
下天の內(nèi)をくらぶれば
夢幻のごとくなり
一度生を受け
滅せぬ者のあるべきか 滅せぬ者のあるべきか
人間五十年
下天の中をくらぶれば
夢幻のごとくなり
一度生を受け
滅せぬ者のあるべきか 滅せぬ者のあるべきか
人間五十年,細(xì)細(xì)思量,此世非常棲之所, 浮生之迅疾微細(xì) 尤勝草間白露、水中孤月。 金谷園詠花之人,為無常之風(fēng)所誘,榮華之夢早休,南樓弄明月之輩,為有為之云所蔽,先于明月而逝。
人間五十年,比之于化天 乃如夢幻之易渺 一度享此浮生者,豈得長生不滅? 非欲識此菩提種,生滅逐流豈由心。